毎月演奏しに行っていた旅館は休業。ピアノは半年も弾いていない。

仕事しながらひっそりと思う。

私の夢はかなわなかった。普通になってしまったと。

だけどやっぱりそれも思い込みだ。たまたまこの状況だから色んなことが停滞してるだけ。皆それぞれ絶望抱えてるんだ。演奏活動や異性との出会い、家族や甥っ子を抱きしめられないことの代償が、10万支給なんだ

今日からついに正社員になった。31歳、初めての正社員。

社会人に向いてないと真剣に悩んでいたあの私が正社員。

占い師には人となるべく関わらないで済む工場勤めが合ってると言われて、ほんとそうだと思っていた。20代の頃、なんであんなに自分は何もできないと思っていたんだろう。思い出すと泣けてくる。でも自信が無かったからこそ、自分を成長させたくて、副業をしたり、たくさん挑戦していろんな人に出会って、ここに辿り着いたんだと思う。今後どうなるかわからないけど、ここでだけ言う。辿り着いたことは確かだ。

正社員になったって演奏活動はやめない。仕事を言い訳にピアノの技術が劣ったとか言わない。なんとでもなると平然と言って、やってのけたい。「死ぬ気で」とか「腹をくくって」なんて言葉は嫌い。私は東京でキーボードだけで普段普通に働き、特に練習はしなかった。思いついたらアレンジしてみるなどの創作はしてたが練習はしない。

今まで言えずにいたこと。練習が嫌いなのだ。

もちろん大事の前は行うけど、完璧に、間違わずに、は全く気にしたくないので

完璧に弾く練習は絶対しない。失敗すら楽しみたい。

(幼い頃のコンクール出場の失敗のトラウマのせいでこうなったんだと思う)

月1で3連休に(無いときは有休を使い3連休を作り)実家に帰り、土曜に練習、日曜にロビーコンサート、月曜に東京に戻るってことを数年繰り返してきた。

同業者からしたら無茶だ、舐めてると言うかもしれない。でもその同業者に私みたいなアレンジができるかと言ったらできないはずだ。こんな強気な事吐いたのは初めてだけど、内心頭の中は勝気なのでここにくらい出しても良いだろう。

穏やかにみられるけど内心燃えてる。寂しさより苛立ちのほうが強い。

この感覚を忘れることができるのは、ときめき。

この感覚を存分に燃焼できるのが、演奏してるとき。

感覚のままに演奏することが生きてると感じるし、使命だと感じる。

あの時間が恋しい。人に聴いてもらえるステージが恋しい。

お金なんてもらえなくてもいい。なぜ、私の心はいつも燃えてるのか。